アンデルセン物語。キャンティーの夢。クリスマスの贈り物。

アンデルセン物語。キャンティーの夢。クリスマスの贈り物

― 二人の天才はこの世の現実を知っていた ―


 手塚治虫先生の手になるテレビアニメの一つに「アンデルセン物語」というのがあります。知っておられる方もおられるかもしれません。

 この作品は世界最高の童話作家にして詩人、デンマークの誇りである天才、ハンス・クリスチャン・アンデルセン原作を、多少の脚色を加えてアニメにした物です。


マッチ売りの少女。

 ヨーロッパや中東だけではなく、恐らく全世界を旅すれば、今でも幼い子供たちが、花やマッチ、車を磨く洗剤と布を手にして旅行者にわずかなお金を求めて寄り集まってくる姿を目にする事が出来るでしょう。
 何故、こんなにもいたいけな子供たちが、学校や園にも行かずに日々、惨めな労働、乞食さながらの暮らしを強いられているのでしょう?

 2020年の日本においても、子供たちの7人に一人が貧困児童であり、学校給食以外は食事もできない状態に置かれています。 
 そしてまた、若者たち、特に若い女性たちが、大企業に解雇されるか雇止め、将来を悲観して大量に自殺しています。貧困のために病院にも受診できずに自宅で死亡し、ひどい時には餓死する人さえ珍しくありません。

 アンデルセン先生の清らかな慈悲の眼差しは、たった今も社会の底辺にうごめいている、親に暴力を振るわれ、暴言を浴びせられ、虐待され、飢えや絶望や病で命を奪われ、生きるために身売りまでしなければならないような悲愴な人生を送る人々の代表であり、この世で最も無力な存在である幼い子供たちに向けられているのです。

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鉛の兵隊。

 原作では、「しっかり者の錫の兵隊」となっています。
 この兵隊さんは、錫が足りなかったために片方の足がありません。けれども、違う姿で生まれたこと、ハンディキャップがあること、障害があること、肌の色が違う事、異なる文化や宗教の国で生まれた事、それが何だと言うのでしょう?
 こうした人々をあざ笑い差別する人間と、自分と同じ人間として公正に扱う人たち、そのどちらが人間として優れており、どちらが恥ずべき下賤の人間なのでしょう?
 生まれによって、肌の色によって、話す言語によって、人間は尊くなるのではありません。その人の思いと思考と感情を制御する自制心、忍耐、憐れみ、こうしたこの世の宝こそが、人を人としてあらしめ、本当に価値あるものにするのです。
 この作品は、人とは異なる姿で生まれてきた存在が、数奇な運命の果てに愛する人と再びめぐり逢い、そしてどんな運命をたどったかを描いています。それは小さなおもちゃに託したアンデルセン先生の全ての人々に向けられた沈黙のメッセージそのものでした。

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親指姫

 小さな花一輪にも命が宿る――子供がいない夫婦に与えられたのは、親指ほどの小さな小さな女の子でした。

 子供が欲しくても授からない方たちがおられ、子供が欲しくもないのに妊娠し、生まれた子を虐待し殺害する残忍な人間も存在します。
 たとえそれが、自分の生んだ子ではないとしても、この世に生まれた全ての子供たちは、祝福され、愛され、大切にされ、生きるすべを無償で教えられるべき、かけがえのない存在なのではないでしょうか?

 あなたは自分の子どもでないならば、その子が飢え、差別され、教育も受けられずに残酷な扱いを受けるか、最低限必要な物すら与えられなくともどうでもよいとお考えですか? 本当にそれで良いとお考えですか?

 子供たちの本当の親。それは決して生んだ親などではなく、遺伝的な親でもなく、その子を大切に育てた方だけなのです。

 いずれ子供たちは親を離れて、残酷でおぞましく、無慈悲で氷のように冷たい世間の炎や荒海の真っ只中を、たった一人で生き抜かなければなりません。親が子供たちの幸せを本当に願うなら、子供たちを自立させ、自由にさせて、最後には手放してあげなければならないのです。
 その時に、親である人間たちが、自分さえ、自分の子さえ良ければそれで良いと考え、我が子ではない子供たちや若者たち、隣人たちがどれほど貧しく不幸であっても無視し続けていたならば、この世は文字通りの生き地獄と化し、あなたの子もその中で悲しみ苦しみ絶望し、不幸をかこつ事になるのです。

 この作品は多くの親への教訓を含んでいます。たとえ自分の子であっても、子供には子供の個性があり、人格があり、考えと思いと願いがあり、親とは異なる価値観と夢があります。
 親の都合で強制した進路、親が選んだパートナーとの結婚、親の都合だけを強いる人生が、本当にその子にとって幸せをもたらしてくれるのでしょうか?

「子供たちよ、若者たちよ、たとえそれが親の思いであったとしても、それが間違っていると思うなら、親に従う必要はない! 
 親指姫を闇の生活、惨めな暮らし、将来の希望も何もない運命から解放した優しいツバメのように、君たちがこの世を貫く永遠の真実、人生の真理に出会ったならば、その機会を最大限に大切にすることです。
 君たちの未来は幸せな出会いの数々と、君たち自身の思考と言動、そして自らの選択の積み重ねによって決定されるのだから」。――それがアンデルセン先生ご自身が体験された様々な人生の悲喜こもごもから学んだ人生の真実であり、若者たちへの呼びかけでした。

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野の白鳥。

「忍耐。自制。努力。これ以上に価値ある事がこの世に存在するだろうか?」 そう語ったのは人類の英知であり覚者と呼ばれた、2500年前のネパールに生まれた聖者、釈迦と呼ばれるガウタマ・シッダールタでした。

 継母の虐待。これは今も続く児童虐待の最大の要因ですが、社長や会長、財閥や政治家など、なまじ権力や財力があればあるほど、そこには権力の腐敗臭や金銭欲に取りつかれた怪物のようなおぞましい人間どもが寄り集まって来るものです。
 今の自民党に尾を振る宗教団体、カルト教団「創価学会」の公明党、同じく野党の皮を被って現実には与党の犬でしかない維新の会や希望の党、国民民主党。これらの地上を闊歩する妖怪変化さながらの人間どもをつぶさに観察すれば、権力者や富豪と名の付く連中、何の意味もない皇族や貴族、王族など、虚飾の影に隠された人一倍醜悪な正体がうかがわれます。
 
 継母に我が子である娘が虐待され、兄弟は呪いを掛けられ追放されたにも関わらず、何とも思わない無能で無慈悲な王。
 兄弟を救ったのは、実の父親ではなく、無力な犠牲者の一人であった、忍耐強い妹だったのです。

「もし、親が愚かで残酷であり、あなたが虐待されているのなら、出来る限り早く、信頼できる専門家、小児科の先生や児童相談所に相談してください。
 もし、近所の子供たちが親に虐待されているなら、もし、あなたがそう疑ったなら、即刻、警察に通報してください。匿名で良いのですから。
 名ばかりは親であろうとも、親を名乗る資格のない人が多すぎます。あなたの通報こそが、子供たちを不幸から救い出し、親に人生を修正するチャンスを与えてやれるのですから。」
 
 アンデルセン先生は1805年にデンマークのオーデンセで生まれました。今から200年以上も昔の時代、児童虐待という言葉すら存在していなかった当時において、先生は「青銅のイノシシ」という、児童虐待をテーマにした童話を書いています。
 昔の人だからといって、人生の真実がわからないわけでは決してありません。
 今を生きる人だからといって、人生の真実と悲哀を知る人であるとは限らないのです。

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人魚姫。

 絵本では人魚姫は金髪の白人少女として描かれる事が多いでしょうが、原作では長く美しい黒髪の少女と描写されています。

 叶わなかった恋の苦しみ悩み。心の細やかで内気な人には、そんな経験が多いでしょう。

 悲しい事に、誰かを本気で愛していても、それが相手に伝わるとは限らず、自分自身にも好き嫌いがある以上、恋心を告白されたとしても、ある人はすげなく拒否し、ある人は遠回しに拒絶し、ある人は既婚者であるなど社会的な立場のために受け入れられないと明言するでしょう。

 孤独であればあるほど、寂しければ寂しいほど、心惹れる人に拒絶される悲しみ苦しみはより一層耐え難い物になります。

 自分に振り向いてくれない相手を恨み憎んで、殺意まで抱くのか? それとも相手の幸せだけを願い、自らの切ない思いを封印するのか? アンデルセン先生はこの作品で、究極の問いを発しています。

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醜いアヒルの子。

 白鳥は、成鳥は美しく純白の鳥ですが、雛や若鳥の時には、まるで煤がついて薄汚れたような実に汚い黒ずんだ灰色の姿をしています。
 毛もボサボサしていて、アヒルの雛よりずっと大きく、変にバランスが取れていないみっともない外観です。

 もちろんこれは、愚かな人間の主観でしかなく、若い白鳥がわが身を守るために気が遠くなるような進化の過程で獲得された保護色です。言うまでもなく、アヒルも当の白鳥も、そんなことは醜いとも何とも思いません。本当に醜いのは、自分勝手な価値観で世界を測ろうとする傲慢で愚かな人間の心なのではないでしょうか?

 人間は愚かな存在です。外観や民族の違い、文化の違い、経済力や権力の有無など、人間の真価とは何の関係もない表面だけを見て相手を侮辱したり、逆に劣等感に苛まれたりするのが人間です。

 こうして、外観だけで人を判断する愚かで冷酷で差別意識丸出しの社会の中で、可哀そうなアヒルの子は、散々な目に遭わされるのです。

 この作品のアヒルの子は、浅ましい差別意識によって、様々な社会的弱者をいじめ、侮辱し、バッシングする右翼や差別主義者によって惨い扱いを受ける全ての被害者の代表であると言って差し支えがないでしょう。

 それにしても、艱難辛苦の忍耐の果てに立身出世するなど、社会的成功者になって終わる話なら珍しくもありませんが、この作品は驚くべき事に、醜いアヒルの子が、本当はどの鳥よりも美しく純白の白鳥だったというエンディングになっています。

 人間の最も奥深い本質的な部分には、決して潰えることのない良心の光が輝いており、たとえどんなに荒んでしまっても、どんなに惨い扱いを受けようとも、人は、決して人としての真価を失う事のない尊い存在であり、神に祝福される存在である、それがアンデルセン先生の信念でした。

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旅の道連れ。

 これはアンデルセン先生が最初に手掛けた童話であり、旧約聖書の「トビアスと大天使ラファエル」、デンマークの民話などにヒントを得、彼の天才的なひらめきによってこの世に生まれ出た記念すべき作品です。
 様々な心の闇を抱えた一人の人間が、自らの荒んだ思いによって死後の世界にうごめく悪魔を呼び寄せ、前以上に暗黒の世界に生き、多くの人々を傷つける存在になってしまった時、その人を救えるのは一体どんな人間であり、何がその人の心の闇と悪魔からその人を解放しうるのか? その答えが、この作品にはあります。
 無償の愛、憐れみと共感、穢れのない優しい魂を持つ人物の慈悲の心、こうした真実の宝、人間にとって最高の気高く尊い光を心の奥底に持つ者は、求めずして神に愛され、大天使のような尊い存在の協力をも仰ぐことが可能であり、いかなる闇の力も、どんなに悪辣で狡猾な画策をも打ち破って不幸な人を救う力が存在する、それがこの稀有なる作品の本当のテーマだと思います。
 詳しい事が知りたい方は、是非、原作を一読し、旧約聖書の「トビアスとラファエル」の章に目を通されることをお勧め致します。
 
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キャンティーの夢

 人生はままにならぬもの。アンデルセン先生の作品群をアニメにした手塚治虫先生は、日本のアニメとストーリー漫画のパイオニアであり、稀に見る才能豊かな作家でした。
 アンデルセン先生の作品は、この世の人生の真実を描いています。けれども、あまりにも居たたまれない場合、手塚先生は原作の価値を損なわないように随所に脚色を加えています。
 けれども、一たび人生に起きてしまった事は、決して変える事が出来ません。
 
 アニメ、アンデルセン物語での語り部である妖精キャンティー。おそらくそのつづりはCan’tyではないかと思います。

 この世の辛酸をなめつくした挙句に不幸な人生を終える悲しい人々。報われなかった愛。神ならぬ人間には、どうすることもできない事が多いのです。

「出来ない=Can’t」。戦争を経験し、人生の現実を知る手塚先生であればこそ、ともすればやり切れない思いを与える人生や心の傷や心残りを描いたアンデルセン先生の作品群を前にして、
「何かしてあげられなかったのだろうか?」という思いを込めて、アニメのアンデルセン物語で主人公を及ばずながら救ってやろうとする小さな善意の化身、妖精キャンティーに、「Can’ty」という名前を与えたのではなかったか?

 実は、キャンティー自身、善行を積む毎に与えられるカードを期限内に100枚集めれば、彼女が願う花嫁さんになる魔法を教えてもらえるという設定になっているのですが、果たして彼女の夢は叶えられたのか?

 その答えは、アンデルセン物語のエンディングテーマ曲「キャンティーの歌」に暗示されています。

「キャンティーの歌」 

歌:高橋洋子  作詞:井上ひさし・山元護久  作曲:宇野誠一郎

いつか知らないところで
あなたと あなたと出会ったの
いつか知らないところで
ひなぎく ひなぎくにうもれて

あなたが… (Ru Ru Ru Ru)
わらうと… (Hum Hum Hum Hum)
お空の お空の雲がお城に
なったわー なったわー なったわー なったわー

いつか知らないままに
あなたとあなたと 別れたの
いまはどこ?


いつか遠いところで
あなたと あなたとあそんだの
いつか遠いところで
ひとり ひとりぼっちの海で

あなたに… (Ru Ru Ru Ru)
ふれると… (Hum Hum Hum Hum)
ほほの涙が 涙が真珠に
なったわー なったわー なったわー なったわー

いつか知らないままに

あなたを あなたを忘れたの
いまはどこ?


……つまり、キャンティーはかつて愛した少年と別れてしまい、彼女の本当の願いは、その少年と結婚して結ばれることでした。
 これは過去の出来事、別れてしまって記憶も遠くなってしまった出来事ですから、どんなに彼女が頑張って人助けをし善行を積んだとしても、その願いは叶えられるはずもなかったのです。

 叶えられない夢、叶えられなかった恋の夢……。だからこそ、彼女の名前は「Can’ty」、「出来ない」なのではないでしょうか?

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 物語の最終回で、99枚しか集められずに花嫁に変身する夢が潰えてしまった時、キャンティーは泣くでもなくがっかりするでもなく、むしろ清々しい表情で、惜しげもなく愛と善行の証であるカードを大空を駆け巡りながらまき散らします。
 地上に降り注ぐ愛と善意のカード。それは、最も清らかで尊い愛と善意が、無償の行いであり、見返りなしで相手の幸せを祈る思いであり行為であることを暗示しています。

 これこそがアンデルセン先生の思いであり、手塚先生の思いであった、私はそう考えるのです

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コメント

出間(いづま)税理士

こんにちは。

私は今、コブラにはまっております。

サイコガンを持つ男。

人としての本質が最高です!

jyukoh

昔、はまりました(笑)
 サイコガンが左腕の骨の代わりだとすると、力いっぱい殴った時にひん曲がってしまいはしないのか? そんな事を考えるようになりました。

 義手に武器が仕込んであると言うのは、「どろろ」の百鬼丸に始まり、ベルセルクのガッツなど、様々に応用されていますね。懐かしいです。
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プロフィール

jyukoh

漫画とアニメはもはや世界的な芸術です。その魅力をご紹介致します。漫画とアニメの真価、それはどこにあるのでしょう? 皆さんと一緒に考えていきたいと思います。

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