「Theかぼちゃワイン」考。

「Theかぼちゃワイン」考。

 ―母性愛は恋人たちの愛ではなく、夫婦愛とも異なる愛である―


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 恋と愛。似ているようで非なる物の代表だと思います。

 日本のストーリー漫画の草分けは手治虫先生ですが、彼一人が日本の漫画の礎となったわけではなく、人間心理を克明に描写して、心理的恐怖を最大限に表現して一世を風靡した楳図かずお先生他、多くの漫画家が人々の恋と愛とを作品化してきました。


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 紀元前の古代ギリシャの天才詩人ホメロスは、壮大な叙事詩であるイリアッドにおいて、物語の発端、十年にも及ぶギリシャとトロイの戦争の原因となったトロイの王子パリスが、愛の女神アフロディーテ―、最高神ゼウスの妻政治的権力の象徴ヘーラー、戦いの女神アテーナ―の内、最も優れた女性としてアフロディーテ―を選択したと記載しています。
 

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 それが何を意味しているかと言えば、一国の王子であるパリスという人物が、政治的責任も、軍事力による祖国の防衛も、一切を顧みずにギリシャの王国スパルタの王妃を寝取ってトロイに連れ帰ってしまうという、究極の不倫、二つの国家の存亡にかかわる取り返しのつかない恋愛沙汰を起こしたという歴史的事実を描いたという事です。
同時に、この一人の若者の愚行が、人間の最も本質的な願望であり本能である求愛に根差したどうしようもない衝動によってもたらされたという悲しい人間の性をも描写しているのです。

 人間の情念は本能に付随する生来の感情であり、人間が進化の過程で人間となってから獲得された理性によっては、コントロールしがたい原始的、否、雌雄の違いを持つ生命全てに備わった動機の一つであり、存在意義そのものの一つであると言えるでしょう。

 恋愛とひとくくりにしてしまうと、恋と愛との違いが明確にならないですが、本来、恋とは自分本位でエゴイスティックな感情であり、愛とは相手本位の思いであり、自分以上に相手の幸せを願う思いです。

 年頃の女の子を追い掛け回す動物の男の子の思いを恋だとすれば、自分の伴侶となってくれた女性のために命を懸けて戦う動物の男性の思いが愛だと言えるでしょう。
 従って恋も愛も、人間以外の動物にも生来的に備わっているものです。

 人間も動物ですが、男女を問わず、いつまで経っても自分勝手でわがままな子供のよう恋しか出来ない精神的に幼い未熟な人々もいれば、相手の幸せを願ってあらゆる努力を惜しまず献身的な成熟した男女も存在します。

 言うまでもなく、愛情と言う物は相互関係から生まれる物であり、男であれ女であれ、片方だけが不当に検診や愛情を要求され続ける状態は歪んでおり長続きする事はないでしょう。

 普通に恋心から交際してみたけれども、実際に相手の正体が明らかになった時、自分よりもはるかに未熟である場合、あるいは自分だけが大人になったが、相手は幼稚な子供のままで留まる場合、もはや共感も意志疎通も出来なくなって別れが訪れる、そんな事も珍しくはないでしょう。

 男女の恋愛も本質的には生物としての本能に根差していますが、母親の我が子への愛もまた、同様に生物としての本能に由来しています。

「母親が命を懸けて我が子を守ろうとする思い、これを崇高な境地と呼ぶ」――そう語ったのは今をさかのぼる事2,500年前、ネパールに生まれた聖者にして人生の真実に目覚めた覚者、ガウタマ・シッダールタこと、お釈迦様でした。


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 人間は誰でも我が身が一番可愛い生き物でが、愛情深い母親の質の良い愛情は、恐らくは人類が知り得る最高の愛の形であるのでしょう。

 日本の漫画やアニメにおいても、様々な恋や愛の形が語られてきましたが、1981年から連載された「Theかぼちゃワイン」という作品は、作者自身が、

「今ではもう死語になってしまい、誰も顧みなくなった母性愛をテーマにした。」と語っている通り、高校生の男女の恋愛を描いていながら、ヒロインが母性的な愛情で相手を愛すると言う異色の漫画として光彩を放っています。


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 相手の全てを受け入れ許し、その愚かしさや罪、人間的欠点をも含めて受容し、相手の悲しみを我がことのように憂い、相手の幸せを願う、それが本当の母性愛です。

「あなた方の主なる神は、善人だけではなく、悪人のためにも雨を降らせ、太陽の光を照らしてくださっている。
 だからあなた方も、天の父なる神のように、憐れみ深く、完璧でありなさい。」

 そう弟子たちに教えたのはエッセネ派から生まれた神の子キリストでした。そう考えてみると、質の良い母性愛とは、神の愛に等しい気高く尊い物であることがわかります。


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 けれども、たとえ神の愛が完璧な愛であったとしても、地上を生きる人間の愛である母性愛は、完璧には程遠い存在です。

 我が子を感情のままに怒鳴りつけ、挙句の果てに殴り殺す父親や母親でさえも、

「しつけのためだ。我が子のためを思っての事だ。私は我が子を愛している。」と平気で主張し、我が子のためなら他人など不幸になろうがどうなろうがどうでもないと言う、身勝手でエゴイスティックで残忍で冷酷無比な自称「愛」も存在しています。

 我が子のためと言う言葉を免罪符にして、スポーツや勉強を強制し、
「あなたのためだから」と語りながら、我が子を絶望させ、追い詰め、自殺させる父母も決して珍しくはありません。

 日本が侵略戦争に明け暮れていた当時にも、我が子の戦死を悲しむ親ならどこにでもいましたが、我が子が隣国の同世代の若者たちを虐殺し、強姦し、財産を奪い、国家を蹂躙して豊かな大地を奪い取り、残虐の限りを尽くすことは何とも思わなかったのです。言うまでもなく、自分の子供の病気や死には悲しみながらも、隣国の親たちの悲哀や絶望や死については、虫けらが死んだほどにも感じなかったのです。

 フランスの有名なシャンソンに、”L'Amour, C'Est Pour Rien”というのがあります。日本語では「恋心」と翻訳され、日本人のシャンソン歌手によって、

「恋なんて虚しい物ね。
恋なんて何になるの」と歌われましたが、これでは作詞作曲した歌手、エンリコ・マシアスが泣くでしょう。


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 フランス語の原詩は、

L'amour, c'est pour rien
Tu ne peux pas le vendre
L'amour, c'est pour rien
Tu ne peux l'acheter

L'amour, c'est pour rien
Mais tu peux le donner

 日本語に訳すと、

愛は何の代償も求めない。
君は愛を売る事は出来い。

愛するのは何かのためではない。
君は愛を金で買うことは出来ない。

愛は何の代償も求めない。
でも、君は愛を与える事が出来る。

 恋など無意味だと冷笑する日本の歌詞に対して、愛は金で売り買いできず、何の代償も求めず、与えるだけの無償の尊い思いであると歌うのがフランスの原詩です。
 自分だけが可愛い未熟な恋と、相手だけを大切に一途に思い全てを捧げる大人の愛。その違いが如実に判ると思います。

 質の良い母親の愛。それは大人の知恵に裏打ちされていなければなりません。漢字も読めない。小学校レベルの知識もない。育児や看病の基本、予防接種の基本など、最低限の情報もなく学ぶ気もないようでは、どんなに我が子が大切であったとしても、十分な育児をしてあげる事は不可能です。

 幼い我が子を受容し、必要なケアをして相手になってやり、社会を生きる十分な知識を与え、我が子が成人して独立できるようにした上で、見返りを何も求めない。これが質の高い親の愛でしょう。

 これは決して難しい事ではなく、以上の事なら動物でも実行しています。残念ながら動物でも普通に我が子を愛しているのに、人間だけは歪んだ知性を駆使して、様々な弁解によって自分が我が子を愛していないという事実を正当化するのです。

 ただし、無償の母性愛は、幼い子供に与えられるべき物であり、若者や成人が求めていい物ではありません。
 
 男性であれ女性であれ、恋心が愛情に変容する過程において、自己中心的だった思いが相手中心に変わります。もし、いつまでも幼児や赤ん坊が母親を求めて泣き叫ぶような状態で相手の愛情を要求し、自分のわがままな欲求が叶えられる事だけを求めるままでは、いずれ二人の関係は崩壊するでしょう。

 未熟でわがままな男や女が、相手の愛情だけを一方的に求めながらも、自分は相手の思いに全く無頓着で思いやりも配慮も何もないなら、それはお菓子やおもちゃを求めて泣きわめく幼稚園児と何も変わらないのです。
 もちろん、ある男や女が、相手の要求に奴隷のように従い続けても良いと思う場合、その関係は途絶える事なく続くでしょう。
 けれども、一方だけが我慢するだけの関係は長続きするものではありません。また、結婚して子供が出来た場合、父親か母親が奴隷のように相手に従っている姿を子供に見せるのは、極めて歪んだ不当な価値観を罪もない我が子に植え付け、幼い無垢な心に身勝手な思いや配慮も思いやりも何もない残酷で不当な状況を植え付ける事になってしまいます。

 質の良い母性愛は我が子の全てを受け入れますが、賢明な母親ならば、我が子のわがままや欠点を黙認する事なく、何としてでも修正しようとするでしょう。そして最終的には、親離れ子離れの過程を経て、子供たちは大人になり、最後は人の親として、我が子に親が注いでくれたような良質な愛情を注ぐ側にならなければならないのです。

 愛はレシプローカル=相互的な思いと感情と言動です。カップルの一方は成熟した大人になっているのに、相手がいつまでも未熟なままでは、いずれその関係は破綻するか、ひずんだまま、義務感その他のしがらみによって腐れ縁となり、ヒモと愛人のような、どちらにとっても不幸をもたらすだけの関係に終わるでしょう。


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エロースとプシュケー


 ある人は恋の相手に捨てられ悲しみますが、ある人はその傷を引きずり続け、もっとずっと自分との相性が良い人の存在に気付かず、探そうともしません。
 一人目でひどい思いをしたのに、同じような人間に惹かれて失敗を繰り返す人も存在します。学習能力がない人ですが、そういう方は、得てして自分の親との関係性や、両親の関係性があまり良くなく、安定したバランスの取れた愛情の相互関係モデルがありません。いつまでも自分を愛さなかった未成熟な親の面影を求め続け、未熟でわがままな、自分の親のような相手を無意識に求め続けている場合も珍しくはありませんが、自分がろくでもない相手に惹かれやすいと気付かない限り、堂々巡りの心理的牢獄から解放されることはないでしょう。

 最初の相手がひどい人間だったが、若くてその正体を見抜けない事もままあります。ファザコンやマザコンの男女が、自分よりずっと年上の相手に惹かれ、恋愛のパートナーではなく、相手に父親や母親を求めて失敗するような事もよくあります。

 幼い頃に質の良い愛情を両親に注がれた人々は幸せです。健康的でバランスの取れた愛情がどんな物であるかがわかるからです。
 そうでない場合には、社会で様々な経験を積み、善良な人々との出会い、悪辣な人間との不幸な関係から、自ら様々な人間と関わる中で、愛とはどんな物なのか、学習するより他ありません。

「Theかぼちゃワイン」のヒロインは、母親のような愛情で相手を愛していますが、相手はそうではありません。


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 親の愛を知らない人は、この作品から母性愛の真実を汲み取れるかもしれませんが、自らが人を無償で愛する者でない限り、本当の愛を知る事は出来ないでしょう。

 無償で人を愛した事がない者が、無償の愛を知る事はなく、その存在を信じる事も出来ないのです。

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